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菩提

 投稿者:魚の目  投稿日:2006年 2月19日(日)17時00分33秒
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  神秘主義やオカルトを考えてみました。
、、、神秘主義やオカルトは我々個人の中で無限に増殖し、社会全体に影響を与えることだって、あります。
「世界の複雑さからの単なる逃避」「まやかし」として世間から矮小化されてしまう傾向を正すだけの積極性も、人間(宗教)は持ち合わせていません。
神秘主義が持つ、人間社会の隠された領域を開示し、人間としての生を豊かなものにする可能性だって、あるかもしれません。(神秘主義が不可知を前提としてるからです。仏教だけでなく、科学未発達の時代の神秘的事象も神秘主義なのでしょうね。)

何かを実体化したり、事象を固定視してしまう習癖から離れることが、仏教では不可欠になってくるのではないかと感じます。難解な理由は、完全に悟られた仏陀の視点と、我々凡人の視点が、まるで異なるからではないかと思われます。ヒンズーの生活宗教的な側面が仏教にあるのでしょうね。

我々が普段、当たり前として認識しているものは、じつは(我々の)認識プロセスに欠陥があるがゆえに、ありのままの姿としてとらえられていないのだ――と、仏教では説いているようです。一種のまやかし的というか、へ理屈がインドから来たのかもしれません。(笑)
そしてこの認識の欠陥が、様々な苦しみを生んでいるというわけです。

神秘体験は、そういった誤った認識を気づかせてくれる1つの手段となると考えられますが、体験にとらわれてしまえば、逆に諸悪の根源である我執をどんどん強めてしまいます。共産主義の迷宮でしょうか?(笑)
神秘体験はあくまで、わたしたちの習慣的行為となっている実体視を離れるための手段にすぎず、それにとらわれることは、再び苦しみの中に迷い込むことに他ならない。仏教とはまるで反対の方向へ、向かってしまう。インドで仏教が滅失したのは、仏教よりも人々の『欲』の方が強烈だったからなのではないかと感じます。
仏教の説得力が弱かった。チベットは風土は、仏教を受け入れたのでしょうね。中国では、権力と結びついたりはなれたり、老荘思想と混交したのでしょうね。

仏教では、常に「空」という思想が、貫かれています。
臨済の教えに「仏に逢えば仏を殺せ」とあるように、あらゆる執着や実体視をスパッ!と一刀両断する心の気迫というか明晰さが、あるのでしょうか。(格好をつけていただけかもしれません、、、)我執と対極に位置し、「空」の悟りと切り離せない関係にある「利他行」の実践で誤魔化そうとしていたのかもしれませんね。
 
 
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